ヘリコバクター・ピロリ菌と除菌について
1.ヘリコバクター・ピロリ菌とは?
ヒトの胃の粘膜に生息し、主に胃の病気を引き起こす細菌です。
胃の中は胃酸という強酸の環境のため菌が住めないというかつての学説が長い間信じられてきました。
しかし1983年にオーストラリアのウォーレンとマーシャルによって胃の中の螺旋菌(らせんきん)の存在が確認されました。
この菌は後にヘリコバクター・ピロリ菌(ピロリ菌)と呼ばれるようになり、胃潰瘍(いかいよう)、十二指腸潰瘍(じゅうにしちょうかいよう)の原因となるほか様々な病気の原因となってくることがわかってきました。
感染経路は免疫機能の未発達な乳児期までに経口感染すると考えられていますが完全に証明されたものはありません。
離乳食など開始する時期の母子感染が主な感染経路と考えられていますが、父子感染、保育園などでの感染なども一部でおこっていると推測されています。
一度感染が成立すると一定数が胃の中で生息し手術で胃全摘や除菌療法をしない限り一生をともに過ごすことになります。
2.ピロリ菌と胃炎
ピロリ菌が侵入すると初期に急性胃粘膜病変などの胃粘膜障害を起こす可能性がありますが、成人では菌が入っても胃に定着しないケースも多いと言われています。
感染が成立するのは免疫の未発達な乳幼児期と考えられておりその後胃に定着し感染が成立するようになります。
感染が起こった初期には数年~十年以上にかけて表層性胃炎と言われる胃粘膜に軽度の胃炎を引き起こします。
引き続いて慢性萎縮性胃炎といわれる胃炎が数十年にわたって続きます。
萎縮性胃炎とは、文字通り胃の粘膜が薄くなっていくもので胃の肛門側の幽門部(ゆうもんぶ)から口側の噴門部に向かって萎縮が長い期間に渡って進行していきます。
さらに萎縮した部位には腸上皮化生と言われる変化が出現します。
このような変化は進行度合に個人差があるもののピロリ菌感染のあるヒトではすべてのヒトで起こってくる変化です。
胃の解剖
1:食道
2:ヒス角
3:噴門
4:胃角
5:幽門
6:十二指腸
A:胃底部
B:胃体部
C:前庭部
X:小彎
Y:大彎
ピロリ菌に感染後に起こる慢性萎縮性胃炎による胃の萎縮は、
C(幽門)→B(胃体部)→A(胃底部)の順に進行していきます。
3.胃炎とは?
ピロリ菌に感染するとすべてのヒトが慢性萎縮性胃炎になることがわかりましたが、胃炎になるとどうなるのでしょうか?答えは、基本的に症状はありません。
これは粘膜には痛みを感知する神経が通っていないためで、他の病気でも粘膜にとどまる病気では痛みなどの自覚症状を感じることはありません。
しかし粘膜が徐々に減ることによって胃粘液や胃酸の産生が減って食欲や実際に食べる量が減ってきたりする場合もあります。
このことは、飽食の現代において生活習慣病などカロリー過剰が原因で起こる疾患が多い現代ではもしかして有利に働く側面があるかもしれません。
確たる証明はできていませんが、欧米人は日本人より心筋梗塞などの生活習慣病に由来する死亡率が高く平均寿命も日本人より低いのはピロリ感染率(日本人で高く、欧米人で低い)が関係している可能性もかんがえられます。
ある程度炎症の進んでしまった高齢の方は除菌しても胃癌(いがん)のリスクは低下しませんが、炎症の軽い若年者では除菌による胃癌発症のリスクを低下させるメリットは大きいと考えられます。
胃炎の多くはピロリ菌によるものですが、それ以外にも自己免疫機序によるものや特殊な感染症で起こるものなどが知られていますが頻度はずっと低いと考えられます。
上の内視鏡写真は別人の胃の同じ部位を写したものです。(経口カメラでの画像で。)
左の20歳代女性はピロリ陰性で胃炎はなく、右の60歳代女性はピロリ陽性の慢性萎縮性胃炎です。
胃炎のない方の胃はヒダもピンのとして粘膜自体がツルンしていますが、胃炎の方は粘膜自体にハリがなく、表面もザラザラした感じになっているのがお分かりいただけるのではないでしょうか。
昔は加齢のせいだと教えられたものですが実はピロリ菌感染が胃炎の実態だったわけです。
この2枚の写真はいずれも別人の70歳前後の方のもので、胃炎のある方と胃炎がない方です。(経鼻カメラでの画像です。)
カメラが違うので色合いなど上の写真とは若干違いますが胃炎のあるなしの違いはお分かりいただけるかと思います。
年齢の違いではなくピロリ菌の感染が胃炎のあるなしを分けています。(左が胃炎あり、右が胃炎なし)
4.ピロリ菌と消化性潰瘍
消化性潰瘍とは胃潰瘍、十二指腸潰瘍のことで、多くがピロリ菌感染と関連しています。
潰瘍発症はストレスなどが誘因となりますが、ピロリ菌感染のない人には消化性潰瘍の発生が殆どないこともわかっています。
(痛み止めなどによるいわゆるNSAID潰瘍はこの限りではありません。)
また、ピロリ菌に感染した人は潰瘍を繰り返して発症することが少なからずありましたが、ピロリ菌を除菌すると潰瘍が再発しなくなることも判明しました。
このことを踏まえ消化性潰瘍に対するピロリ菌の除菌が平成14年より保険適応となりました。
5.ピロリ菌と胃癌
ピロリ菌に感染すると胃炎が起こってくることはすでに述べましたが、慢性萎縮性胃炎が進行し腸上皮化生が発生するような状態では発がんのリスクとなることも判明しています。
固形がんは慢性炎症を背景に発生することがわかっています。
胃以外では、慢性胆のう炎(胆石など)→胆のう癌、慢性膵炎→膵癌、
潰瘍性大腸炎(原因不明の慢性の腸炎)→大腸癌、
慢性気管支炎(喫煙が原因の呼吸器の慢性炎症)→肺癌
などの関連が知られています。
胃の場合でも慢性萎縮性胃炎が進んで腸上皮化生が発生するような状態は高分化型腺癌の高リスクとして知られています。
統計学的な解析から求めるとピロリ菌感染のあるヒトが潰瘍になるリスクは年間2%、胃癌になるリスクは年間0.5%程度と推測されます。
潰瘍はなる人は何回も繰り返してなることも多く、実際の頻度はもう少し少ないかもしれません。
日本人は元々感染率の高い民族で高齢者では感染率が高く、若年者では感染率が下がっています。
背景には環境衛生の変化などが考えられています。
子育てをする世代での感染率が下がっている現状では母子感染を主な感染経路とすると今後はさらに自然感染する率は低下するものと推測されます。
日本人の胃癌発生の高さはピロリ感染の高さと関連しており、今後は除菌する人も増えると予想され、胃がんの発生は低下していくものと推測されます。
6.ピロリ菌に起因する疾患
慢性萎縮性胃炎、消化性潰瘍、胃癌などがピロリ菌によっておこることを述べてきましたが、
他に知られたところでは胃MALTリンパ腫、ある種の胃ポリープ
胃の病気以外では特発性血小板減少性紫斑病という血小板が減る病気がピロリ菌との関連が示唆され
平成22年に胃の病気以外ではこの疾患だけが除菌療法の保険適応となりました。
(特発性血小板減少性紫斑病は難病指定されている原因不明の難病の一つです。)
ピロリ菌が関係していることが明らかとなっている胃の疾患
7.ピロリ菌と除菌適応の変遷
平成14年:消化性潰瘍に対するピロリ菌除菌が保険適応となる。
平成22年:以下の3疾患が保険適応となる。
・胃MALTリンパ腫
・胃癌の内視鏡治療後
・特発性血小板減少性紫斑病
平成25年2月:慢性胃炎→内視鏡で慢性胃炎であることが確認されなおかつピロリ菌感染が証明された場合に保険が適応されることとなった。
8.除菌の功罪
保険適応の変遷でもふれていますが除菌の適応自体が歴史もあさく、今後どうなるかもわかっていないことが多いことも事実です。
慢性胃炎での除菌が保険適応されたということの意義は、殆どのピロリ菌感染が保険での除菌適応となったということと同義だと思います。
しかし、我々のご先祖様がそうであったように日本の風土ではかつては殆どの人がピロリ菌感染と共存してきた歴史と考えられ(東洋ではどこの地域でも似たようなものだと思われます。)
高い感染率のなかで世界の中でも驚異的な平均寿命を達成している日本人にとってピロリ菌がどこまで悪影響を及ぼしているかは個別のリスクで判断すべきだと考えます。
除菌によって生活習慣病の増加なども明らかになっており、飽食の現代では欧米型の疾患の増加(心筋梗塞などの心血管病変)も懸念されるところです。
除菌によるメリット
・胃炎の進展が抑制される。
・ピロリ菌関連疾患が減少する。特に消化性潰瘍などで煩わされることが無くなる。
・胃癌の発生リスクが低下する。(胃炎の少ない若年で除菌するほどリスクは低下する。逆に胃炎が進んだ高齢者では胃癌リスクは低下せず恩恵が少ない。)
除菌による考えられるデメリット
・生活習慣病が増える。実際、除菌後に中性脂肪値の増加などのデータもある。
除菌することで胃炎の進展が抑制され胃粘膜も少しずつ回復するため食欲が亢進するというメカニズムが考えられる。
胃癌の発生は高齢になるほど増えるが、心筋梗塞などは胃癌の好発年齢よりも若干早く発症することも多く、(心筋梗塞も高齢ほどリスクが増加しますが)早死にする人が増える懸念もあります。
・ピロリ菌関連疾患が減少する。特に消化性潰瘍などで煩わされることが無くなる。
・胃癌の発生リスクが低下する。
(胃炎の少ない若年で除菌するほどリスクは低下する。逆に胃炎が進んだ高齢者では胃癌リスクは低下せず恩恵が少ない。)
これらのことを踏まえると生活習慣病のリスクを勘案しつつ、できるだけ早期(若年)に除菌することが胃の疾患を抑制することにつながるという結論が導き出されます。
9.ピロリ菌感染の診断方法
内視鏡を用いて胃粘膜を直接調べる方法、便に排泄される抗原を調べる方法、血液などの抗体(菌が入った形跡を調べる方法)などがあります。
はっきりしていればどれか一つでも判別できますが、はっきりしない場合はいくつかの検査によって総合的に判断します。
ピロリ菌がいるかいないかを調べるだけであれば内視鏡までしなくても液検査や糞便検検査で調べることができます。
10.除菌の方法
ピロリ菌の除菌は保険で行う場合一次除菌と二次除菌に分かれます。
いずれもPPIと呼ばれる制酸剤と2種類の抗菌剤を組み合わせて1週間続けて内服する方法です。
7日間服用 | PPI(抗潰瘍薬)2倍量 |
AMPC(抗菌材)1,500mg | |
CAM(抗菌材)400〜800mg |
●1日2回
朝食後と夕食後
イメージはCAM(クラリスロマイシン)1日量を800mgとした場合の1回分の内服薬です。
これを朝晩1週間続けて内服するのが一次除菌です。
ただし、実際のところはクラリスロマイシンの耐性が進んでおり除菌の成功率は約70%程度になっています。
一時除菌が不成功の場合における二次除菌治療が2008年8月より保険適用になりました。
7日間服用 | PPI(抗潰瘍薬)2倍量 |
AMPC(抗菌材)1,500mg | |
MNZ(抗原虫材)500mg(イメージ◯赤丸) |
●1日2回
朝食後と夕食後
※下痢が多い場合
※抗菌中は飲酒は不可
MNZはメトロニダゾールという薬で婦人科の感染症などで使用頻度の多い薬です。耐性化が少なく、かなりの確率で除菌できる方法です。